足羽川用水
徳光用水
光明寺用水芝原用水新江用水十郷用水
※ 紹介は下記用水名をクリックして下さい。
足羽川用水
《徳光用水》

◆疎水の所在地
福井市南東部一円800haの農地
(槇山地区を通る徳光下江用水400ha)

◆所在地域の概要
福井市街地から南東へ8km、足羽川左岸に位置し、近くには戦国時代の朝倉氏ゆかりの「一乗谷朝倉遺跡」があり、かつては朝倉氏一乗本城の出城であった槇山城の城下町として栄えた歴史的環境を持つ地域である。

◆疎水の概要・特徴
槇山地区の街並みを流れる徳光下江用水は農業用水(400ha)であるが、歴史を有する足羽用水の一角を担っている。当用水は、古くは荘園の時代から生活用水としても利用され、両側の街道とともに多くの人々に親しまれてきた。しかし、近年の生活排水の増加により、水質は悪化し、かつての美しい流れは陰を薄めてきた。このため用水路の改修(水環境整備事業)と共に親水空間を創出し、歴史と自然と人とが調和する豊かでうるおいのある快適な生活環境を生み出すことを目的として、地域ぐるみで水環境整備に取り組み、その結果、かつての清流がよみがえり、安らぎのある生活を提供している。
徳光下江用水槇山地区の親水空間
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九頭竜川下流

◆疎水の所在地
九頭竜川下流域の4用水
福井市宝永 用水路 L=1.7km


◆所在地域の概要
福井県の県都、福井市の中心部に位置し、一級河川九頭竜川の鳴鹿堰堤より取水した芝原用水から分水、市街地を流下して、福井市近郊の優良農地に灌漑している。

《光明寺用水》
◆疎水の概要・特徴
本用水は、1級河川九頭竜川から取水した芝原用水の支線で、その芝原用水の歴史は古く、完成1607年で、古くから造られていたかんがい用水路を整備したものといわれている。当時の福井藩主結城秀康により、城下に飲料とするため上水として芝原用水が整備され、その範囲は68ヶ村にもおよんだ。しかし、当時は飲料水として優先されたため、厳しい利用制限が行われ、かんがいに用いることは従属的に考えられていた。光明寺用水は芝原用水の支線にあたる。光明寺用水は、平成7年より水環境整備事業で整備され、護岸は景観に配慮した張り石で施工。また、整備の際、福井産のしゃくだに石を積んだ水路護岸が現れ、当時の用水路の状況を知る貴重な資料となった。
徳光下江用水槇山地区の流れ
おつくね祭り
ハイ・ウォークツー大会の様子
地域のイベント風景
(整備された光明寺用水)
(光明寺用水親水路)

◆疎水の所在地
福井市、旧松岡町を中心とする周辺地域 L=199km

◆所在地域の概要
一級河川九頭竜川の中流扇状地に位置する永平寺町(旧松岡町)から一級河川日野川が合流する始点までの平坦な地域で、中心部には福井市街地をかかえる。

《芝原用水》
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芝原幹線用水路
◆疎水の概要・特徴
芝原上水と言われるとおり、福井藩主結城秀康が城下町の飲料水と周濠用水(お堀の水)確保を主目的に開削されたものであり、芝原用水は外輪・内輪に分かれ、外輪用水は、城下町北部の農地を灌漑し、内輪用水は城下町へと引き込まれています。
内輪用水は、県営水質障害対策事業で用排水を分離することにより、生活雑排水による農業用水の水質悪化を防止すると供に、周辺環境の保全を図る為に延長
2.9knの整備を行った。また、県庁(旧福井城)のお堀へ環境用水として水質浄化を目的に今現在も供給している。
また、芝原用水を核とした福井市中心部の水路整備(水と緑のネットワーク事業)の取り組みが行われており、豊かな水辺環境を作り出そうという主旨で「芝原を美しくする会」が発足し、清掃活動などのボランティア活動も積極的に行われている。
内輪用水路
芝原歴史資料
松岡水閘
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◆疎水の所在地
丸岡町東二ッ屋〜山崎三ヶ
用水路
L=5.5km


◆所在地域の概要
丸岡町東部の山沿いの地域で、鳴鹿堰堤から取水した新江用水が山裾を流下し、一級河川竹田川沿いの集落の水田を灌漑している。

《新江用水》
九頭竜川下流
◆疎水の概要・特徴
新江用水は、丸岡町の鳴鹿堰堤から取水し、約250m下流で十郷用水から分水、丸岡町東部の山沿いを流下する。この水路は、今から約300年前の寛永2年(1625年)に加賀の浪士渡辺泉龍と、丸岡藩の村人によって、4年の歳月をかけて完成させたといわれている歴史ある用水路である。
完成した用水路は、幅約2m、長さ約10kmで、当時
は荒れ地で農家もほとんどいない地域であったが、新たに約300haの水田を拓くことができ、数百の農家が生まれた。
当時の工事は、付近が山沿いで地形も複雑であったため見通しが悪く、夜中にたいまつを立てて、高低を確認しながらの測量を行ったとされている。水路が開かれるまでは、用水のほとんどを渓流水に頼っていたために、上下流の水争いが絶えない状況であったが、新江用水の完成により争いごとも治まった。
新江用水の開削には、渡辺泉龍が中心となって多くの村人が参加し難工事を完成させたわけだが、渡辺泉龍は農民からは感謝され、丸岡藩主の祈願所であった女形谷の直乗院にある工事を祈念した石碑(丸岡町指定文化財)にその名前が刻まれている。
新江用水路
渡辺泉龍をワークショップで学習
山際を流れる新江用水
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◆疎水の所在地
丸岡町四郎丸〜坂井町下新庄
用水路 L=8.3km


◆所在地域の概要
一級河川九頭竜川の右岸に展開する水田地帯(坂井平野)約3,500haの農地を鳴鹿堰堤で取水された十郷用水が灌漑する。

《十郷用水》
◆疎水の概要・特徴
十郷用水は、越前平野で最大の水路と言われ、坂井平野の大部分を養う。平安時代の天永元年(1110)に開削され、九頭竜川に十郷大堰をつくり、当時で用水の延長は七里(28km)にわたり、河口荘十郷(荘園、現在の坂井郡内)の水田約600haをかんがいしていた。
その後、わずか十の村からはじまり江戸時代には
128ヶ村、実に十倍以上となり、新江、高椋、河合春近用水などが分流され、十万石を生み出す大動脈となり、現在も3,500haの農地をかんがいする重要な用水である。
しかし、水の量は昔と変わらず、渇水時になるとあちこちの堰が切って落とされたり、農民同士の争いが起こり、南北朝時代には将軍家にまで訴訟があがり、一乗谷の朝倉氏も度々調停に関わっていた。さらに江戸時代に入り水争いは一段と激しくなり、その分水方法は複雑・緊密化していった。
終戦後の昭和28年から幹線用水路工事が行われ、十郷用水も整備され安定した用水の供給が可能となった。しかし、水路が老朽化したことから、用水再編とあわせてパイプライン化を図る国営かんがい排水事業が平成11年度より実施されている。
十郷用水路
桜と十郷用水路
四郎丸分水工
坂井平野を流れる用水路
足羽川用水疏水マップダウンロード
九頭竜川下流疏水マップダウンロード